2008年 03月 18日
祖母を偲ぶ |
日曜日は、先日取った新幹線で、祖母の7回忌のために日帰りで東京へ。
祖母が眠るのは九品仏の浄真寺(写真はぱっとしませんが)。
祖母は4月初めに亡くなった人ですが、お葬式の時は遅めの桜が満開だったのを思い出します。
そして、日曜日も本当に暖かな1日。祖母のお墓の近くの大きな椿の木も満開の赤い花、お寺にもしだれ梅が見事に花をつけていました。
法事の終わった後は、祖母が生前好んで通っていた奥沢のフレンチ「フランネル」で会食。祖母の思い出話も交えながら、親戚達と楽しいひと時を過ごしました。
大人になってからは、従兄弟たちとも会う機会が減りましたが、こうして祖母が皆をひき合わせる機会を作ってくれている感じがします。
私の祖母は、大正生まれですが、本当に粋な人でした。
くわえタバコにパチンコをたしなみ、麻雀では右に出るものがおらず、寿司屋のカウンターにも1人で座れてしまうと男気?もあり、かつ、常に気を抜かないファッション、英語も独学ながらペラペラ、そして食道楽(味噌汁が大嫌いでした…貧乏臭い、と)。祖父の仕事の関係で社交の場に出ることも多かったらしく、ダンスやお茶お花もたしなみ、敬語や難しい言葉もよく知っていました。
祖父や次男を早くなくし、晩年は常に病・痛みとの戦いでしたが、それでも70を過ぎて俳句の先生になったり(人生で初めてお給料をもらったと喜んでました)、病床でも化粧は必ずするなど、常に前を向いていた人だったと思います。
そんな祖母は私に向かっていつも言っていたこと。
「大学で男性と肩を並べて学んだ以上、社会でも肩を並べないと!」
祖母は世が世なら、ばりばり働きたかったそうです。
祖父が早くになくなり、子供たちが独立して、自分には何も残らなかった、と。
「昔みたいに家事が大変じゃないから、家にこもってたらもったいない!」とも。
今の自分が、祖母の期待に応えているかどうかはわかりませんが、
もう少し前を向こうかな、と祖母の墓前に思う週末になりました。
祖母が眠るのは九品仏の浄真寺(写真はぱっとしませんが)。
祖母は4月初めに亡くなった人ですが、お葬式の時は遅めの桜が満開だったのを思い出します。
そして、日曜日も本当に暖かな1日。祖母のお墓の近くの大きな椿の木も満開の赤い花、お寺にもしだれ梅が見事に花をつけていました。
法事の終わった後は、祖母が生前好んで通っていた奥沢のフレンチ「フランネル」で会食。祖母の思い出話も交えながら、親戚達と楽しいひと時を過ごしました。
大人になってからは、従兄弟たちとも会う機会が減りましたが、こうして祖母が皆をひき合わせる機会を作ってくれている感じがします。
私の祖母は、大正生まれですが、本当に粋な人でした。
くわえタバコにパチンコをたしなみ、麻雀では右に出るものがおらず、寿司屋のカウンターにも1人で座れてしまうと男気?もあり、かつ、常に気を抜かないファッション、英語も独学ながらペラペラ、そして食道楽(味噌汁が大嫌いでした…貧乏臭い、と)。祖父の仕事の関係で社交の場に出ることも多かったらしく、ダンスやお茶お花もたしなみ、敬語や難しい言葉もよく知っていました。
祖父や次男を早くなくし、晩年は常に病・痛みとの戦いでしたが、それでも70を過ぎて俳句の先生になったり(人生で初めてお給料をもらったと喜んでました)、病床でも化粧は必ずするなど、常に前を向いていた人だったと思います。
そんな祖母は私に向かっていつも言っていたこと。
「大学で男性と肩を並べて学んだ以上、社会でも肩を並べないと!」
祖母は世が世なら、ばりばり働きたかったそうです。
祖父が早くになくなり、子供たちが独立して、自分には何も残らなかった、と。
「昔みたいに家事が大変じゃないから、家にこもってたらもったいない!」とも。
今の自分が、祖母の期待に応えているかどうかはわかりませんが、
もう少し前を向こうかな、と祖母の墓前に思う週末になりました。
by room1305
| 2008-03-18 05:46
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